うぇるねす設立20周年!下田会長、理念を語る。
『うぇるねすの思いはつながってる。それは、私、下田の分身だからかな。』
目指すのは、居住者から尊敬される管理員。おまけに、定年制度に真っ向から異を唱えて、もちろん、ピンピンコロリ、生き生き100歳まで働こう。
そして、管理員最前線『清掃の五徳』……。これらは、みんなつながっているんだよ…
うぇるねす20周年記念として、会長・下田に、うぇるねす創業から今に至る、思いの繋がりをお聞きしました。
アメリカ視察で常識は覆った!『尊敬される管理員』とは?
創業者の下田がこの起業を思い立った背景を辿ると、その数年前、前職のリクルート系マンション管理会社コスモスライフの常務取締役だった頃、マンション管理協会が主催したアメリカ東海岸への視察旅行のエピソードに行き着きます。それは、ちょうどニューヨーク、ボストンあたりで地域のマンション管理会社の協会を訪ね、現地関係者から業界動向などの説明を聞いている時でした。ある事柄が下田にヒットしたのです。それがこちらです。
「マンションの管理員は、まず建築に関する十分な知識が欠かせない……。しかし、それ以上に居住者のためのあらゆるサービス……医療・教育機関などへの問合せやご近所のレストラン、小売り、新しい流行のポイントまで、何でも知っている……。したがって、管理員は居住者みんなから愛され、心よりリスペクトされているのです」。
この最後の『尊敬されている』という言葉に、下田は心底驚き、感動したのです。管理員とは、そういう仕事だったんだ。日本とはあまりにも異なる。つまり、管理員の本来の仕事は建物の管理だけではなくて、むしろ居住者に向けたサービスこそが大事なのではないか。ここからです。帰国した下田は、社内で大きく変化を起こし始めたのです。それは業界をひっくり返すような活動であったとも伝えられています。
『定年』という仕組みが、日本そのものをダメにしている。
そして、もう一つ。下田には以前から気にかかることがありました。それは、日本特有の制度、『定年』です。あれほど現場でバンバン戦ってきた元気なビジネスマンが、会社で決められた日を境にまったく働かなくなる。いや、働けなくなる。そんなことがあっていいのかという思いです。そこには、すぐに健康を失い気力を失って、あっという間に死ぬぞという危機感がありました。世界一の高齢化が叫ばれ人口減少が憂えられる日本で、そんなことがあっていいのか。定年前に自ら起業を考えたタイミングでもあり、下田にはその思いが一層強くなりました。そこで、こう考えたのです。みんな働こう。できる仕事はあるはずだ。それによって、適切なストレスを感じつつ良いペースで楽しくイキイキと生きていこう。それは、その先に、「ピンピンコロリ、100歳まで元気に働こう」というお馴染のコンセプトにつながったのでした。
うぇるねすはスタートする。しかし……。
さて、うぇるねすです。平成14年、マンションの居住者に報いようと、各ご家庭を対象に食料やクリーニングなどのサービスをお届けするという「ひまわりネット」を立ち上げました。スタートは出身地に近い福岡。当時、営業は下田だけでしたが、切り開いたお客様はマンション160棟、1万戸を記録しました。しかし、残念ながらまったく儲からなかったのです。創業から5年、資産をほぼ使い果たして疲弊する中、主力事業は終了します。
しかし、その一方で、管理員代行事業は成長を始めていました。創業4年目の頃、「ひまわりネット」の不調を心配し声を掛けていただいた管理会社の方々がいたのです。そして、自分たちが困っているのは管理員の休みだと、その時の代行サービスを考えてほしいとアドバイスがあったのです。それは、下田との信頼関係がいかに厚かったかを物語っています。以降、事業は順調でした。途中、サポーターの方を社員から契約社員に制度変更した際もほぼご納得いただき、コンシェルジュ代行(現事業とは関係ありません)など、よそ道にそれながらも修復し、徐々に評判が上がって行く中でマンション管理会社からの教育サービスへのニーズにも応え、平成21年にはついに横浜に上陸するのです。関東圏への進出です。その後の破竹の成長は、今も留まるところを知りません。うぇるねすは、今、まさにエンジン全開です。
もっともベースにあるのは、「清掃」への揺るがないこだわりでした。
ここで一つ大切なことを振り返っておきましょう。それは、下田の「清掃」へのこだわりです。これには、原体験があります。ご本人がコスモスライフに移られたすぐの頃のことでした。畑違いの教育分野からの異動でもあり、客観的に管理員の業務を見直そうとされたとき、実はその7割が〈清掃〉だと気付いたのです。よって、ここを磨かなければ強みにならないとし、自ら〈清掃〉を学ぼうとビルメンテナンス協会を尋ねました。ここでは、もっぱら〈清掃〉を研究してその実践ノウハウを教えており、下田は3日間の講習プログラムに参加することにしました。
まず、箒やモップの持ち方と掃き方を学びました。ガラスの拭き方やスクイジーの使い方の講義では「洗剤を使うな」と言われ、「最高の洗剤は水だ」と教わりました。それらノウハウにはそれぞれにきわめて妥当な理由があったのです。そして、極めつけが、「清掃の基本」でした。清掃とは、この床が汚れているからきれいにするというだけではなくて、その姿をお客様が見て、こんなに一生懸命やってくれてありがとうという気持ちが出てくるものだというのです。驚きました。
清掃に60年、達人その人に感銘。
そしてさらに、下田はそう語る主任講師に感銘したのです。彼は、中学を卒業すると同時に清掃会社に就職しました。雨の日も風の日も、指が凍える雪の日も炎天下の夏の日も、厳しい先輩やお客様から怒鳴られながら、歯を食いしばって頑張りました。30才で結婚し3人の子宝に恵まれ、孫も3人出来て幸せになられた。当時75才、ビルメンテナンス協会のスーパースター講師として活躍されていた素晴らしい人格者でした。この人にとって清掃は60年に及ぶ人生をかけた仕事、まさに天職だったのです。
そして後日、下田は、『清掃の五徳』に巡り合います。それは、清掃というのは自分の心も磨くものだということでした。読んだ瞬間、心にすっと入ってきたと言います。清掃は、仏教の教えにも通ずるものだったのです。うぇるねすの管理員代行という仕事は、このような背景の元に成り立っているのです。
〜おわり〜
この記事は「うぇるシップジャーナル」第8号より転載いたしました。